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一つの誤訳で変質した全体のストーリー

本作は、架空の剣士アラトリステが17世紀ヨーロッパの歴史上の人々と関わり、冒険と戦いの日々の果てに、最期の戦場に赴くまでの20年間を描いた史劇である。アラトリステと恋人の女優マリアに、時のスペイン国王フェリペ4世が絡む恋物語も、作品全体を通して描かれる重要なエピソードである。

宝石店の女主人の台詞
物語の中でアラトリステは、恋人のマリアから結婚したいと提案される。本来の台詞では、アラトリステは即座に断っているのだが、字幕の台詞では曖昧に描かれた。その後の場面でアラトリステは首飾りを買いに行く。そのために日本語字幕では、アラトリステが結婚を決意したと解釈された。

最大の問題点は、アラトリステに首飾りを売る宝石店の女主人の台詞だった。劇場版の日本語字幕において、この台詞は「その美しい貴婦人と将来を共に」するための贈り物と訳された。改訂されたDVDの字幕でも「将来を考えて」の贈り物とされ、アラトリステが迷った末にプロポーズの決意をしたことの根拠とされた。

監修者による誤訳の否定
原作小説の翻訳者であり、DVD字幕を監修した加藤晃生氏は自身のブログに「誤訳の見落としは別の一ヶ所のみ」という趣旨の文章を掲載して、女主人の台詞のミスを否定した。これを受けて、2011年6月までウィキペディアから「誤訳に関する情報」が全て削除されていた。

柳原先生のご指摘
女主人の台詞について東京外国語大学准教授の柳原孝敦氏は、「条件法」の文章であり字幕はニュアンスを取り違えていると、こちらのブログで指摘した。条件法であれば、「将来」ではなく「現在のマリアとの関係を維持するため」の贈り物となる。アラトリステは、結婚を断り失望させたマリアに、せめてもの愛情を示すために、どん底の貧しい生活の中で高価な首飾りを買い求めたのである。男の誇りを何よりも重んずるアラトリステにとって、パトロン達と肉体関係を持つマリアとの結婚は、誇りを捨てる行為なのだ。死と隣り合わせの傭兵であり、決闘に明け暮れる男には将来を夢見る余裕もない。物語の中でアラトリステは、将来への備えが大切だと語るマリアに対して、「将来などクソ食らえ。どうせ皆、死ぬ」と虚無的に応じている。

誤訳による作品の変質
アラトリステとマリアの関係は、この後も物語の終盤まで描かれ続ける。アラトリステは国王によってマリアを奪われ、やがて彼女との別れの時を迎える。「プロポーズをしようとした」という字幕の誤った解釈のために、それらのエピソードはひどく変質してしまった。「結婚しようとしたのに、国王に先を越された」という場合と、「結婚を断ったために、愛する女の運命を悲劇に向かわせてしまった」では、フィルム上の演技は同じでも観客にとっては意味が大きく変わってしまう。(歴史的な証拠は存在しないがフェリペ4世は梅毒だったとされている)
肝心な部分に重大な誤りのある日本語版の字幕は、欠陥品であると言わざるを得ない。
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by Gran-desastre | 2011-06-22 14:57
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